障害者手帳所持者 (身体疾患)

あがり症、コミュ障、HSP、不眠症、身体疾患、不安障害

緊急事態宣言の延長可能性とおうち時間

更新しました。

お題「#おうち時間

不覚である。私はそう感じた。 2020年5月、緊急事態宣言の延長が騒がれる中、私は、今にも噴出しそうになる怒りを抑えるのに精一杯だった。(この世に奴のような能臣がおれば斯様なことにはならぬわ)、石田治部少の顔を思い浮かべながら、私は心の中で言う。

この際、真田でも大谷でもよい。斯様な能臣がおれば、世界は救えるかもしれぬ。したが、今の状況をなんとする。今の状況では、優れた統率者を見いだせぬ。緊急事態宣言の延長は不覚だった。そう、延長があると聞いた。

「自分も体験した」といえば人はついてくるが、私は体験したことがない。これと言ったおうち時間も示せぬ。

最大の不覚は、緊急事態宣言の延長だ。そもそも5月6日の初期設定が駄目だった。専門家の意見を聞いた風だが、後1ヶ月待ってくれとは、普通の政治家なら平常心では言えまい。これでは、STAY HOME月間だ。後一週間待てば良いという気持ちが止まる。

私は、いまのうちに、一週間繰り返し見れる映画や本に課金しようと思った。緊急事態宣宣言は繰り返し延長されるかもしれない。緊急事態宣言は延長に延長を重ねる可能性がある。このままでは、「緊急事態宣言」という映画が産まれそうだ。延長は一回でいい。

緊急事態宣言下で人々の動きも鈍るはずだ。


緊急事態宣言の延長は、気持ちが切れるのに役立つ。天下万民のためとはいえ、お粗末な発表。

モチベーションを維持しながらのおうち時間は難しい。特にアウトドア派は困るはずだ。アウトドア派には、もう少しインドア派の矜持を感じてほしい。

おうち時間に何をしようと庶民の自由である。

緊急事態宣言の延長は不覚だった。不覚にも延長の線を忘れていた。今できることを1日で済ませれば、「月間」の間に全てのやりたいことが終わってしまう。

以前にも言った通り、長い妄想はできない。妄想が途中で止まって脱線するからだ。とはいえ、緊急事態宣言が続けばどうなるかは妄想すればわかる。人々の気持ちが切れる頃には、怒りの執筆者も増える。

ブログを閲覧しながら、言い回しを参考にする。言い回しは著作権侵害でもなんでもないのだ。おうち時間の間にブログの言い回しを考え、白紙にメモをする。いわゆるマインドマップは苦手だが、メモは好きだ。

「おうち時間でもブログのことを考えてるの」「おうち時間がまた延長されそうなんだけど」「おうち時間で外出しないのにそんなにネタがあるの?」

当然ながら、ゲームは全てクリアした。スマホゲームは以前から止めている。となれば、できることは映画やドラマを見ることだけだ。

緊急事態宣言は不覚だった。延長を忘れていた。

ネットに出回る無料のオンライン講座を閲覧しながら、
政府の発表の遅さに呆れた。とりあえず、この政府ではおうち時間の有効性やヒントは示せない。オンライン飲み会をしようではない。なぜ面と向かう必要がある。

オンライン飲み会では、相手の横顔を見ることはできない。全員が前を向いて飲み会をしているからだ。コップを置いて横顔を眺めて話すことはする意味がない。私に同僚がいたとしても、オンライン飲み会はしない。

オンライン飲み会はしないが、そもそも私は茶とジュースだけだ。ビールやワインは飲まぬ。オンライン飲み会で酔うのは避けたい。というか微小のアルコールでも幻覚が見えるかもしれん。

私は、おうち時間とはなんたるかを小一時間考えたがまったく結論はでなかった。無理な話だが、政府がもっとおうち時間について金を出せば。あるいは、誰もがおうち時間を満喫できるような仕組みになればいい。

おうち時間でできることは山ほどある。それが成績になればなお良し。本来ならば、彼らはおうち時間やテレワークどころではない。

各有名人もおうち時間をどう有効に使うか考えている。

ネットでできるイベントに参加するのも、逆におうち時間に何もしないことも大胆である。

おうち時間の間に、知ってるドラマも再放送になったが、M-1グランプリなどは本当に時期が良かった。

オンライン講座を見たり、ドラマを見たり、ゲームで遊んだり、ブログを書いたりしている。

YouTubeの動画を観て思うのは、「私はこんなことはできない」だった。
やはり早急にパソコン生活を復旧させるしかあるまい。おうち時間とは何か。パソコンがない以上できることは少ない。

されば、皆皆の自粛は「天下の大業」と存ずる。ゆえに、一糸乱れずその大業を成し遂げ、おうち時間に諸侯の絆を見る。斯様な有り様とて、日本人なら乗り越えることができよう。全てにおいて、人類の体制は磐石とは言えぬ。おうち時間に何をしようが、天下の事態は動かぬよ。おそらく、おうち時間は今後も継続される。

すなわち、病気療養をする。闘病生活の一環にて、私はおうち時間に電子書籍を読む。

私は電子書籍を読んでいる。面白い書籍ばかりだ。一巻を見るだけでも面白い。私は書の大切さを学んだ。