文字カウントの是非
2019年11月中旬。
日本中の幾つかの記事を文字カウントし、
「優秀な記事は1000文字を越えている」
に至った。
「ツイート10個分で記事になる」のである。
Twitterは、貴方のライターとしての価値観を無駄にしているのだ。
Twitterを批判しているわけではない。
あのツールにも魅力はある。
記者らは「2000文字をこえた」わけではない。
パターンが類似しているとも思った。
※雑誌に川柳やコメントがのったり零戦のカードが当たったことがある私だが、ライター応募は躊躇している。
Twitterでは、いいねされなくても、ブログはどうかわからない。
Twitterは、強調やルビがないため、発言を勘違いするユーザーが議論に発展するだけだ。
Twitterのツイートをブログにまとめたらアクセス数が増えたなんて輩もいる。
※携帯が執筆速度を遅くしている。変換に最初に出てこない。
はてなブログ上位の記事は1000文字越えがあった。そりゃ、数百文字程度では情報量が少ないし、参照量の多さや画像などもあるのだが、さすがに真似できない濃密な情報ばかりだ。
文字カウントをした記事は、2ページ目3ページ目がなく、1ページのみをカウントしたが、1ページだけで1000文字に抑えるのは、プロの技と言っていい。
記事の多くは情報量があるものだ。私にはそれが少ない。それは認めよう。
関係者の話だけで六百文字書いている記者もいたが、
「関係者A子さん喋りすぎじゃない?」
日本の機密意識はどこに消えたのか。
関係者なしで記事を書ける奴は、逆に尊敬に値する。
コネがないのではなく、「コネはあるが、関係者には頼らない記者」もいるだろう。
彼らの関係者情報は三行の時もあれば十行のときもある。
どちらの手法も素晴らしいのである。
先にどこかが報じれば「担当者は不在」になって、コネに制限がかかることから、他社雑誌に先駆けて先手の発表をしなければらない。
「事件の関係者は語る」がない人にとって、1000文字は酷なのだろうか?
「1000文字のネタがどこにある?」と毎朝毎晩思考している。
心臓病のことを語るにも、普段から心臓病なのでネタがあるわけじゃない。
皆さんにとって、1000文字は普通のことである。という認識で挑まねば。
1000文字というのは、簡単である。パソコンはないが、スマホはある。タイピングスピードドラゴンの腕前だ。
はてなブログ皆さんの記事を文字カウントして、執筆向上の参考にしたい。